こんにちは、上出です。
お久しぶりです。
こんな状況なので、この1ヶ月半くらいそれなりに時間はあったはずなのですが、気づけばブログは1ヶ月以上更新していませんでした…ごめんなさい。
さすがにただボーっとしていたわけではなくて、いくつか新しい事にもチャレンジしました。
その一つは、オーシャナLIVEですね。
トークショー形式で面白い話をする自信がなかったので、オンラインでフォトセミナーを開催させていただきました。
水中写真家の先輩方を差し置いてセミナーというのもおこがましいなと思いましたし、マジメ君かよって感じですが、終わった後にたくさんの方からメッセージをいただいて、結果的には全力でやって良かったなと思っています。
オーシャナLIVEは、計3回開催させていただき、のべ195名の方にご参加いただきました。
チケットを買ってくださった皆さん、本当にありがとうございます。
そして、チャンスを与えてくださったオーシャナさん、心から感謝しています。
もう1回くらいは僕の出番があるかと思いますので、よかったらまたお付き合いくださいね。
(D850 + 105mm micro + Z-330 f5.6 1/250秒 ISO64)
さて、今日は「水中写真とストーリー」について考えていきたいと思います。
先日ある水中フォトコンの結果発表を見ていて、色々感じたことはあったのですが、ひとつ強く思ったのは「上位入賞している作品はどれもストーリー性があるなあ」ということです。
審査員でもないお前が偉そうなこと言ってんじゃねえよって感じですし、もちろん「技術力」とか「意外性」とか、選考にあたっては色々な要素があるのでしょうが、僕にとっては久しぶりに「ストーリー」について考える機会になりました。
というわけで、今回は皆さんと、
・なぜストーリーが必要なのか?
・ストーリーがあれば良いのか?
・水中写真におけるストーリーとは何なのか?
・作品にストーリー性を持たせるにはどうすればいいのか?
というテーマについて、一緒に考えていければと思います。
明確な答えがあるテーマではないと思うので、フワッとしたまま終わってしまうかもしれませんが、ご容赦いただけるとありがたいです。
(というか、そもそもブログってフワッとしててもいいものですよね…笑)
(D850 + 14-24mm f8 1/100秒 ISO2000)
●なぜ水中写真にストーリーが必要なのか?
いったん水中写真から離れて、そもそも「ストーリー」にどんな効果があるのか考えてみましょう。
例えば、中学校か高校で受けた、日本史の授業を何となく思い出してください。
きっと幕末とか明治維新のページに、こんなことが書いてあると思います。
【1868年:戊辰戦争】旧幕府軍が薩摩・長州を中心とする新政府軍に敗れ、明治という新たな時代の幕開けにつながった。
僕は今も昔も特に歴史好きというわけではないので、おそらく当時は「へー」と思っただけです。
もしかしたら「へー」とも思わず、年号を覚えただけかもしれません。
間違いなく言えることは、戊辰戦争があったという事実を知って、ワクワクしたり涙を流したりはしなかったということです。
出典:Wikipedia(パブリックドメイン)
大人になってから、「燃えよ剣」という司馬遼太郎さんの作品を読みました。
この小説では、土方歳三の生涯を中心に、新選組の盛衰が描かれています(史実を元にしたフィクションです)。
幕末の動乱の中、多摩の元百姓や商人たちが京に上って新選組となり、武士として名をあげていきます。
しかし、その活躍は十年と続きませんでした。
すでに権威を失いつつある江戸幕府、そしてそんな幕府(会津藩)に仕える新選組。
彼らが徐々に新政府軍に追い込まれていく戊辰戦争の様子が、この小説の後半に記されています。
戊辰戦争の終盤、主人公の土方は函館で新政府軍と戦います。誰の目にも、勝ち目のない戦いです。
読み進めながら「土方、お前だけは明治の世に生き残ってくれ!」と、心の中で叫んでいました。
函館にたどり着く前に、彼はもう仲間のほとんどを失っていたのです。
多摩の道場で一緒に稽古をし、京では命を賭して日々一緒に戦った同志たちが、一人、また一人と命を落とすたびに、僕は涙していました。
すいません、感情移入してしまいました。
「燃えよ剣」大好きなんです。
何が伝えたかったのかというと…
「戊辰戦争」という事実に感情移入したり感動したりすることはないけど、戊辰戦争をめぐるストーリーに涙を流すことはある。
つまり、人は事実そのものではなくストーリーによって心を動かされる、ということが言いたかったのです。
(D850 + 105mm micro +SMC-1 + Z-330 f16 1/250秒 ISO200)
何のために水中写真を撮るかは人それぞれです。
でも、自分の大切な人が、あるいは遠くに住んでいる知らない誰かが、自分の写真を見て感動してくれたら嬉しいですよね?
もちろん、「自己満足でいいんだ」という方もいると思いますが、水中写真で誰かの心を動かすことができるって、やっぱり素敵なことだと思います。
やっと水中写真に話が返ってきましたね。
目指すところがフォトコン入賞だろうが、大切な友達の心を癒すことだろうが、水中写真で人の心を動かすためにはストーリーが必要だというお話を、ここまでしてきました。
ちょっと長かったですが、ここまではプロローグみたいなものです。
さあ、本題に入りましょう。
●人の心を動かすためには、ストーリーがあれば十分なのか?
ストーリーの大切さについてはわかりました。
早速「ストーリー性のある水中写真を撮るためのテクニック」について話したいところですが、その前に「ストーリーだけでいいの?」ということも考えてみましょう。
小手先の技術よりもずっと大事な話です。
(D850 + 105mm micro + Z-330 f8 1/250秒 ISO100)
「水中写真を通して一番伝えたいことはなんですか?」
たまに聞かれるんですが、毎回答えに困ります。
そもそもなんとなく始めた水中写真が、どんどん楽しくなって、気づいたら仕事になっていました。
もっと言うなら、ダイビングを始めたのは、当時恋慕していた女性がダイビングにはまっていたからでした。
だから、元々何か伝えたいことがあって、水中写真を撮り始めたわけではありません。
「一番」というのは、わからないんですよね。
もちろん今は、その時々で、水中写真を通して伝えたいことはあります。
「海の美しさを知ってもらって、海洋環境問題に関心を持って欲しい」
「水中写真という、一生学び続けられる趣味を持つことで、より豊かな人生を歩んで欲しい」
そんなマジメな思いもありますが、普段はもっとふわっとしたことを考えています。
例えば…
「やっぱり○○ハゼは可愛いなー。お!こんな表情もするのか!」
「あれ?さっきまで喧嘩してたと思ったら、なんだかイチャイチャし始めたぞ?」
「なんて静かなんだろう。陸にいると忘れちゃう感覚だな」
とか、水中で思っているのはそんなことです。
「可愛さ」や「美しさ」、あるいは「静けさ」や「面白さ」など、ある意味では原始的な感覚ですよね。
こういう素直な思いを写真に載せられたらなと思っていつも撮影しています。
水中写真を通して伝えたいことって、「水中にはこんなに可愛い生き物がいるんだよ!」みたいなことでいいと思うんです。
うまく言葉にできませんが、そこを表現として突き詰めて行った時に、「ストーリー」という要素が出てくるような気がします。
伝えたいことが少しでも届くように、ストーリーに乗っけるという感じでしょうか。
逆を言えば、いくら「ストーリー性を出さなきゃ」と思っても、自分に何も伝えたいことがなければ、自分が感動していなければ、人の心は動かせないという事です。
司馬遼太郎さんは、新選組の生きざまに感動して、誰かに伝えたいと思い、そこにあったかもしれないストーリーを丁寧に描いたからこそ、「燃えよ剣」は多くの人の心を動かしたんですよね。きっと。
(D850 + 105mm micro + Z-330 f6.3 1/250秒 ISO64)
●水中写真におけるストーリーとは何か?
かなりフワフワした「ストーリー」という言葉を、水中の世界に当てはめて、できるだけ具体的にしてみましょう。
とは言っても、具体化するのはそれほど簡単じゃありません。
まず、水中で何が起こっているのかなんて、実際のところ僕たちは知らないんですよね。
そして、1枚の写真に込められるストーリーというのも限られています。
でも、少なくとも、以下のようなストーリーはあるはずです。
・その海のストーリー
・生き物同士のストーリー
・被写体と自分とのストーリー
海のストーリーというのは、例えば、一度は白化によって全滅したサンゴが再生したとか、そういうことです。
1枚の写真でその過程を伝える事は難しいので、表現の仕方は工夫する必要があるかもしれません。
でも、サンゴや再生の物語に限らず、人によっては十分撮る理由になりますよね。
(D850 + 14-24mm f16 1/250秒 ISO1400)
生き物同士のストーリーがあるなら、それはそのまま切り取ってもいいのかもしれません。
例えば、2匹のコブシメのオスが、1匹のメスを争って戦っているとか。
こういう写真は、ストーリーもわかりやすいですよね。
あるいは、2匹のギンポが突っつき合っているとかでもいいですね。
喧嘩してるのか求愛してるのかわからなくても、そのまま撮れば何となくストーリーを想像できます。
僕たちは研究者じゃありませんし、別に海の生き物たちのことを全部理解している必要はありません。
わからない部分は想像で補ってあげればいいんです。
愛を持って丁寧に切り取ることが大切なのではないでしょうか。
(D850 + 105mm micro + Z-330 f5.6 1/160秒 ISO64)
さて、被写体と自分自身のストーリーというのはどうでしょう。
わかりやすく言うと、こういう事だと思います。
・なぜその生き物、海を撮ろうと思ったのか
・どうやってその被写体と出会ったのか
・撮りながらどんなことを思ったのか
つまりこれは、「あなたは何に感動して、何を伝えたいと思ったのか」ということです。
さっきも言いましたが、これ、大切です。
例えば、「おー!いつも素通りしてたサンゴに、今日は綺麗な魚が乗ってるー!ラッキー!撮ってみよう」と思ったとしましょう。
まずそこに、あなたと被写体のストーリーがありますよね。
たまたま出会って、心が動いて、伝えたいと思ったんですから。
そしてその魚を観察していると、同じ場所から動きません。
しかも、ずっとこっちを見ています。
「あれ?自分のことが気になるのかなあ?邪魔してゴメンね。でもちょっと遊ばせて!」
そんな感じで、にらめっこをしてみたとします…
僕は、こういう過程の中にもストーリーがあると思います。
別に、魚はにらめっこをしてるつもりはないでしょうが、まあいいじゃないですか。
魚が目をそらして向こうを向いたら、また想像すればいいんです。
「あ、今度は物思いにふけりだしたな」とか。
ストーリー性やメッセージ性を無理に込めようとするとこってりした作品になってしまいます。
そうではなく、自分と被写体とのストーリーを、想像力を膨らませながら、長方形の中でさりげなく表現できるといいですね。
(D850 + 105mm micro + Z-330 f5.6 1/250秒 ISO64)
●どうやってストーリー性のある水中写真を撮るのか?
長方形の中でさりげなく表現できるといいですね?
それができたら苦労してないんですけど?
あああ、それはそうですよね…これが難しいんでした。
もちろん、僕も毎回そんなことができるわけじゃありません。
最後の章では、「どうすれば写真を見た人がストーリーを想像してくれるのか?」というテーマについて考えてみましょう。
答えはないので、こういう考え方もあるのか、くらいで読んでみてください。
①実際のスペースとしての余白
アート全般に共通することですが、余白をどう作るのかというのは大事です。
受け手側は、余白があるからこそ、想像を巡らせることできます。
この記事を書くにあたって頭の中を整理してみたところ、余白には2種類あるような気がしてきました。
ひとつめは、実際のスペースという意味での余白です。
例えば、日本庭園とか、料理の盛り付けとか、あえて余白を作るという技は、色々な場面で取り入れられています。
ちなみに、水墨画なんかも余白を生かした芸術として有名だそうです。
どうやら僕たち日本人は、他の国、特に西欧の方々に比べて、余白という概念に日頃から親しんでいるらしいんですね。
僕自身も、水中写真を撮る時に「どこにどれくらいの余白を作るか」ということは常に考えています。
もちろん、自然相手なので完全にコントロールすることはできませんが、主役とスペースのバランス意識するだけでも違うのかもしれません。
(D850 + 105mm micro + Z-330 f5 1/250秒 ISO64)
②意味的な余白
ふたつめのは、意味的な余白です。
映画を見ていると、よくありますよね。
「え、そこで終わっちゃうの!?」ってこと。
全てを見せない、あえて情報を落とすことで受け手側に想像力を膨らませる、というのが、ここで言う意味的な余白です。
こうして文章で書くのは簡単ですが、これを1枚の写真の中で実践しようとすると難しいですよね。
例えば、ボケを使うことで情報を減らして、写真を見た人がストーリーを想像しやすいように工夫したとします。
(D850 + 105mm micro + Z-330 f6.3 1/250秒 ISO64)
ヒトスジギンポの目線の先にいる魚がボケているので、そこにどんな魚がいるのか想像を膨らませてくれるかもしれないし、魚じゃない何かの存在を感じてくれるかもしれません。
でも、「ストーリー」というワードに着目するなら、ヒトスジギンポがどんな魚たちと一緒に暮らしているかわかった方が、見た人はより現実に近い物語を想像できるでしょう。
つまり、どこまで説明するのか、どこまで情報を落とすのかというバランスに、正解はないのです。
好みもあるでしょうし、その時の気分もあるでしょうし、伝えたいことによっても変わってきますよね。
③余計なものを削ぎ落す
「意味的な余白」と似ているのですが、ちょっと違うような気もして分けました。
これはシンプルな話で、「画面の中がごちゃごちゃしてると想像力を膨らませる前に疲れちゃうので、必要ないものが入らないようにしましょう」ということです。
まあ、これも水中写真だとコントロールするのが難しいんですが。
せっかくいい瞬間、いい表情を切り取れているのに、余計なものが入ってるせいで主役が引き立ってないな、と思う事は、自分の写真を見ていてもよくあります。
これは「ストーリー」とか「受け手の想像力」に関わるだけでなく、純粋に作品の洗練度にもつながってきますよね。
フレーミングを工夫したり、ボケを使うことで情報を整理できると、受け手側に撮影者の意図を伝えやすくなるはずです。
場合によっては、「①実際のスペースとしての余白」をあえてなくすことで、情報を減らすことができるかもしれません。
(D850 + 105mm micro + SMC-1 + Z-330 f16 1/250秒 ISO200)
前の章で、「自分と被写体のストーリー」について触れましたが、場合によっては、自分の存在を消したいこともあります。
例えば、西表島のマングローブを撮影する時なんかがそうでしたね。
自分が何に一番感動したのかというと、その静けさでした。
でも、僕自身は、その静けさを破る存在でしかありません。
呼吸を止めて、体の動きを止めて、できるだけ人の存在感が画面の中に出てしまわないようにシャッターを切りました。
(D850 + 14-24mm f16 1/100秒 ISO2000)
●最後に
今日はここまで、
・なぜ水中写真にストーリーが必要なのか?
・人の心を動かすためには、ストーリーがあれば十分なのか?
・水中写真におけるストーリーとは何か?
・どうやってストーリー性のある水中写真を撮るのか?
という、4つのテーマに沿って「水中写真とストーリー」について考えてきました。
抽象的なテーマなので、ビシっと「○○すればストーリー性が出ます」みたいな話はできませんでしたね。
期待してくれていた方、ごめんなさい。
でも、そこを工夫するのが、写真の醍醐味のような気もします。
テクニックに関しては「余白」というキーワードを通して解説しましたが、もっと実際的な方法もあると思います。
例えば、複数の個体・種類の生き物を一つの画面に入れるとか。
あるいは、構図やフレーミングを工夫する事で、動きを出してあげるとか。
ストーリー性を高めるためにできることは、きっとたくさんあるのでしょう。
(D850 + 105mm micro + Z-330 f7.1 1/250秒 ISO100)
「フォトコンの結果発表を見ていて、ストーリーのある作品が上位入賞しているように感じた」というのが、この記事の出発点でした。
でも、ここまで書いてみて思います。
「ストーリー」という言葉にとらわれてはいけない、と。
今は、水中の撮影機材も進化して、情報も溢れていて、誰でもちょっと頑張れば良い写真が撮れる時代です。
だからこそ、自分が何を素敵だと思って、何に感動して、何を伝えたいと思ったのかということが、より重要になってきます。
あなたの感動が一人でも多くの人に伝わるように、その瞬間を丁寧に切り取ってみてください。
それでは、今日もここまで読んでくださりありがとうございました!
少しでも参考になれば嬉しいです。
(2020.5.14更新)
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