写真集出版までの道のり③ -コンセプトを深掘りする-

 

こんにちは、水中写真家の上出俊作です。

今日は連載「写真集出版までの道のり」の第3回。

来年2027年に出版社から写真集『HIDAMARI(仮)』を出せることになったので、出版までのあれこれを発信していこうというシリーズです。

 

第2回では、2025年にキヤノンギャラリーで開催した写真展で編集者Kさんと出会い、出版社Sから写真集を出せることが決まった、という話を書きました。

 

第3回では、写真集の「コンセプト」について一度深掘りしてみようと思います。

もちろん今回出版する写真集についての話なのですが、実際にはもう少し広く、僕が作品づくりについて日頃考えていることを考察するような流れになるかもしれません。

 

◾️コンセプトとテーマの違い

 

そもそも論を始めたらキリがないのかもしれないし、そんな哲学的な話は聞きたくないのかもしれない。

けれど、ウワベだけなぞってもそれはそれで意味がないよな、とも思います。

 

自分自身の頭を整理するためでもありますが、これから写真作品をつくっていく人にとって何かの参考になればいいな、という思いで書いてみます。

 

「コンセプト」という言葉をなんとなく使っているとふわっとしたままなので、できるだけ具体的にしましょう。

AIを使いつつネットで調べてみると、こんなイメージのようです↓

 

コンセプト:企画の全体を貫く基本的な考え方や、提供する価値の軸。一貫してぶれることのない方向性。

 

うむうむ。確かに。という感じです。

理解できたような、できていないような。

 

僕は正直、これだけではすっきりしません。

なぜすっきりしないかというと、「それってテーマとどう違うの?」と思ってしまうからです。

というわけで、「テーマ」と「コンセプト」の違いを調べてみました。こんな区別の仕方ができるようです。

 

テーマ:主題。何を撮るか。

コンセプト:テーマを魅力的に伝えるための切り口。どう撮るか。

 

なるほど、関係性がわかりやすいです(先に説明したコンセプトの説明との整合性は別として)。

 

第2回で、「陽だまりシリーズとは何か」を一言で表すと

「小さな生き物たちが主役の、青のない海の世界」

と書きました。

 

これを上記の区別に則ってテーマとコンセプトに分けると

テーマ:海の中で暮らす小さな生き物たち

コンセプト:青のない世界

となります。

 

わかりやすいです。

でも、わかりやすすぎて安っぽいというか、なんだか表面的で、魅力に欠けます。

というわけで、テーマとコンセプトを再定義できないものかと、再度調べ直したところ、こんな分け方もできそうです。

 

テーマ:作品が深いところで扱っているもの

コンセプト:そのテーマを成立させるための作品固有の発想

 

「撮る」という写真特有の行為から離れたことで、より本質的になった気がします。

テーマというのは確かに主題ではあるけれど、単純に「被写体が何か」ではない。

これを陽だまりシリーズ、ないしは今回の写真集『HIDAMARI(仮)』に当てはめてみます。

 

テーマ:普段は見過ごされている生命の視点からとらえ直した、もう一つの海。

コンセプト:小さな生き物たちが主役の、青のない海の世界。

 

こんな感じでしょうか。

テーマとコンセプトの内容が似てしまった気もしますが…ひとまずここまでにしておきましょう。

「コンセプトとは何か?」あるいは「テーマとコンセプトはどう違うのか?」という問いに対して、今の僕はそんなふうに考えています、ということでした。

 

◾️写真にコンセプトは必要か

 

写真を趣味でやっていて、それを自分と近しい人だけで見て楽しむことが目的なら、コンセプトなんてなくていいのかもしれません。

お父さんがミラーレス一眼と望遠レンズを買って、我が子の運動会の写真をバチっと撮って、夕食時に写真を見ながら談笑している家族に、「コンセプトは何ですか?」とか聞かないですよね。

 

ただ、アマチュアであれプロであれ、それを表現として誰かに届け、何かを感じて欲しいなら、コンセプトはあった方がいい、と僕は思っています。

ブツ撮りなどのカメラマン仕事だとまた事情は違うのでしょうが、写真集や写真展を活動の軸としている僕の立場で言うと、「写真集であれ写真展であれコンセプトは必要」です。

 

ここまではまあいいでしょう。

ここからが重要というか、陽だまりシリーズを10年間続けてきて、今思うことです。

 

◾️コンセプトは最初から必要?

 

「コンセプチュアル」という言葉があります。

辞書的な意味は「概念的」等ですが、それだと僕には意味がわからないのでおいといて。

 

例えば会話の中で「この写真(集)はコンセプチュアルだね」と言った時には、単純に「コンセプトが強いね」という意味のこともあるでしょう。

ただ、もう少し直接的に、「コンセプチュアルアート」と結びつくことの方が多いのかもしれません。

 

僕は現代アーティストではなく、現代写真を撮っているわけでもなく、美術史家でもありません。

なので限られた理解の範囲でさっくり解説しますが、コンセプチュアルアートというのは、「最終的にアウトプットされる作品の見た目よりも、その作品を成立させている思想や概念、ルールが優位にある」作品のことです。

 

つまり、コンセプトが最初にあります。

コンセプトが新しくてそこに価値があれば、作品の見た目が美しかったりかっこよかったり感動的であったりする必要はありません。

(そのコンセプトを作品化する上で、なぜ絵にするのか、なぜ写真にするのかという問いには作家自身が答える必要があるのでしょうが。)

 

さて。

コンセプチュアルアートでは「コンセプトが先に生まれる」ということがわかりました。

コンセプチュアルアートと呼ばれるものでなくても、「コンセプトが先にあった」という作品はたくさんあるでしょう。

写真の分野においても、「まずはコンセプトを決めなきゃ」という姿勢の作家が多いとも聞きます。

 

僕の感覚では、現代写真をやっている人、あるいは現代アート的視点で写真に取り組んでいる人は特に、先にコンセプトがある場合が多いと思っています。

一方で、僕のように「ネイチャーフォト」に軸足を置いている人は、そうでないケースも多いように感じます。

つまり、「なんかいいな」と思って撮っているうちにコンセプトが生まれてきた、という具合です。

 

◾️陽だまりのコンセプトは後から生まれた

 

写真集『HIDAMARI(仮)』を例にして考えてみましょう。

「小さな生き物たちが主役の、青のない海の世界」

これがコンセプトです。

 

僕は、このコンセプトを考えてから、陽だまりシリーズを撮り始めたのでしょうか?

違います。

 

僕は子供の頃から生き物が好きでした。

自由研究では虫の標本を作り、家族で行ったキャンプでは川で魚を獲っていました。

大学卒業間近にダイビングを始めて、海の中で暮らす生き物たちに魅了されました。

普段は見過ごされているような小さな生き物たちにも表情があり、陸上では見ることのできない色彩や模様を纏っていることを知りました。

 

僕は、そんな小さな生き物たちが持つ魅力を100%、写真に載せたいと思ったのです。

そんな思いで撮影を続けた結果、写真の中から、海の象徴であるはずの「青」がなくなっていました。

なので、陽だまりシリーズに青がないのは、目的ではなく、生き物の魅力を際立たせるために引き算をしていった結果です。

 

ここで、「コンセプトは後から生まれることもある」という結論で終わってもいいのですが、もう少し丁寧に説明します。

 

2022年に写真展『陽だまり レンズ越しに見つめた10mmの海』を富士フイルムフォトサロン東京・大阪で開催しました。

当時の僕は「陽だまりを発表したい」と思っていたわけではなく、「メーカーギャラリーで写真展を開催して写真家として認められたい」と思っていました。

つまり、写真展開催自体が目標なので、公募に通る必要があります。

 

「どんなテーマなら公募に通るだろう」と色々考えていたさなか、友人宅で飲んでいた時に、「青のないマクロが一番俊作らしいんじゃない?」と言われ、「なるほど!」と思い、そのまま進んでいきました。

その時、陽だまりのコンセプトが生まれました。

むしろそれまでは、自分の写真に青がないことを、明確には意識していなかったはずです。

 

■コンセプトに縛られる

 

写真展も、同時に自費出版で刊行した写真集「陽だまり」も、多くの方から好評をいただき、手応えがありました。

このシリーズをこれからも続けたいと思いました。

そして今回の写真集『HIDAMARI(仮)』があります。

 

つまり、2022年から今日までは、2022年以前とは違い、

「小さな生き物たちが主役の、青のない海の世界」

というコンセプトを明確に意識しながら撮影してきました。

その意味では、2022年以降の陽だまりシリーズはコンセプチュアルとも言えます。

 

もちろん僕はコンセプチュアルアートをやっているつもりはないですし、「青がない」のは目的ではなく手段です。

その意味では2022年以前も今も変わっていません。

表現したいのはコンセプトではなく、海の中で暮らす小さな生き物たちが持つ魅力です。

主役は僕ではなく野生の生き物たちです。

 

ただやはり、2022年以前と今とでは、撮影に対する向き合い方というか、意識は変わったように感じます。

意識的に青を排除したり、青を排除できないシチュエーションを避けるようになりました。

それは時に、苦しいことでもありました。

正直に言って、「コンセプトに縛られているな」と感じることが、今ではよくあります。

それはそれで通るべき道なのか、あるいは不健全な態度なのか、僕にはわかりません。

制限があるからこそ生まれる作品もあるとはよく聞きますし、もっと自由に撮った方が新しい何かが生まれるのではないか、という思いもあります。

 

とにもかくにも、写真集『HIDAMARI(仮)』は、2017年から2026年にかけて撮影した陽だまりシリーズの完全版として、2027年に出版されます。

10年の間で、コンセプトを意識しているかどうかに関しては変遷がありましたが、やっていることはさほど変わりません。

普段は見過ごされているような小さな生き物たちの魅力を、どうにか損なうことなく写真に載せようと、10年前も今も試行錯誤しています。

 

◾️「自分が何を撮っているのか」を考える

 

「写真で誰かに何かを感じて欲しいならコンセプトはあった方がいいけど、最初からそんな小難しいことを考えなくてもいいのかもね。」

という話を、長々とこねくり回してしまいました。

おかげで、自分の頭の中が整理できました。

 

水中写真に限らず、生き物や風景など、自然を撮っている方は、コンセプトなんて考えずに撮り始める方が多いでしょう。

僕はそれでいいと思っていますし、実際僕もそうだったわけですが、表現としての写真を続けていく中で、コンセプトについて考えることには意味があるように感じています。

 

実際僕は、いずれ発表したいテーマである西表島のマングローブの撮影にあたって、

「自分はなぜマングローブを撮っているんだろう?」

「自分はマングローブの何を撮っているのだろう?」

と、最近ずっと問い続けています。

 

コンセプトという言葉でなくても、「自分がやってることって何なんだろう?」という問いを持つことで、写真が少しずつ深くなっていくのかもしれません。

 

さて、今回はかなり抽象的な話が続いたので、次回こそ写真集の具体的な仕様について書いていこうかなと思います。

今日もここまで長い文章を読んでくださりありがとうございました。

少しでも参考になれば嬉しいです!

 

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