水中写真家にとっての「自分らしさ」とは何か? ~ふんわりマクロに潜む罠~

 

こんにちは、上出です。

今日は

水中写真における「自分らしさ」

について考えていこうと思います。

 

絵画や音楽、文芸といった「芸術」
と呼ばれる分野で評価されている作品からは、
作者の「自分らしさ」や「個性」が
ひしひしと伝わってきますよね。

もちろん水中写真においても同じで、

「この写真は〇〇さんらしいよね」

なんて話をよく耳にしますし、
僕自身も雑誌や展示会で水中写真を見た時、

「このハイキーの写真は鍵井さんらしいな」
「このクジラは越智さんにしか撮れないだろうな」

なんて思う事もあります。

では、「自分らしさ」や「個性」と呼ばれているものは、
どのように出来上がって、どうやって人に伝わるのでしょうか?

 

先日本屋でたまたま手に取った
KAMINOGEというプロレス雑誌の中に、
そのヒントになりそうなインタビュー記事が
掲載されていましたので、少し引用します。

ヒロト:「KAMINOGE」らしさを出そうという、

   何かひとつのレールみたいなものは見える?

Interviewer:KAMINOGEっぽいとか、

       KAMINOGEらしいっていうのは、

                     読者の人が決めることですよね?

ヒロト:それは読者に委ねる?

Interviewer:委ねるというか、言われてみて

                    「あ、そうなんだ!」と初めて気づくと言うか。

ヒロト:それはまさに俺らと一緒。押しつけがましくないんだよな。

(KAMINOGE Vol.59 2016)

 

「ヒロト」というのは、
THE BLUE HEARTSやTHE HIGH-LOWSで活躍し、
現在はザ・クロマニヨンズのフロントマンとして
活動している甲本ヒロトさんです。

僕はプロレスには全く興味がありませんが、
ブルーハーツもハイロウズも大好きなので、
ついついヒロトさんが表紙のKAMINOGEを
音楽雑誌だと勘違いし買ってしまいました。笑

kaminoge59

 

甲本ヒロトさんと言えば、
かなり個性的な人だと思われますし、
自分らしく生きている人代表みたいな雰囲気もあります。

しかし、このインタビューからもわかる通り、
彼は「自分らしさを出そう」とは思っていません。

「〇〇らしい」というのは、
あくまで受け手側が判断するものだ、と。

 

これはどうゆうことなのでしょうか?
実は、僕自身も今は

「自分らしい写真を撮らないと」

という思いはありません。

「自分が感じたものをそのまま写真の中に表現できれば、
自然と自分らしさは出るのかな。」

と思っています。

でも、
僕も最初から今のような考え方だったわけではありません。

みんなの中に埋もれてはいけない
という危機感が強くて、

「もっと個性的な写真を撮らなきゃ」

と思っていた時期もありました。

 

ある意味、個性を発揮したいという気持ちは、
何かが本当に好きで真剣に取り組んでいれば
自然に湧いてくるものなんだと思います。

しかし、ここに危険が潜んでいるんですね。

例えば僕は、
自分は魚を撮ってるんじゃない!
そこにあるひとつの小さな世界を表現してるんだ!

という気持ちが強かったため、
一時期こんな写真を良く撮っていました。

dsc_3935-11

 

自分では「どうだ!?」という感じで
こんな写真ばかりSNSにUPしていたのですが、
残念ながら、あまり周囲から反応が得られませんでした。

僕の場合は、
そんな写真を色々な人に見てもらい
直接感想を聞くことができたので、

自分らしいと思って撮った写真が
他人からは意外と個性として評価されていない

ということを、
運よく知ることができました。

今思えば、こういうテイストの写真自体が悪かったわけではなく、
どうだ、個性的だろ?
みたいな雰囲気が

押しつけっぽくなってしまっていたのかな、
と反省しています。

 

個性を無理やり演出して押し付けてはいけない…
○○らしいというのは受け手が感じるもの…

それはわかりました。

では結局、
どのように自分らしさというものが出来上がっていくのでしょうか?

もしかしたら明確な答えなんて無いのかもしれませんし、
僕にもそれはわかりません。

ただ、僕自身は、

最初は憧れの人の真似をしながら基礎を身に付け、
徐々に自分の遊び心を作品の中で試せるようになり、
気づいたら

「この写真は上出さんらしいね!」

と言われることが少しづつ増えていきました。

dsc_6556-11

 

そして、これから自分の表現の幅を広げるために必要なことは、
細かいスキルやテクニックを突き詰めていくことではなく、

多くのところへ行き

色んな人と触れ合い

その中で様々な経験をし

その中で感性を磨いていくことなんだろう、
と僕は思っています。

 

結果的に、
それらが作品の中で「個性」として表れるのかな、と。

そして、実際の撮影の現場に目を移せば、
自分で規定した枠の中に被写体を押し込めようとせず、
被写体をよく観察・理解し、

その生物や環境の魅力を自分なりのの感性で切り取った作品が、
人の心を動かすのかもしれません。

 

この辺で今日の話をまとめますと、
自分らしい水中写真を撮るということは、

まずは師匠や憧れの先輩の真似を通して基礎を学び、
水中以外の様々な場面でも感性を磨きながら、

被写体を自分なりによく観察・理解し、
その魅力を伝えるために試行錯誤を重ねる

ことなのかな、と思います。

 

無理に、
自分らしい写真を撮ろう
なんて思う必要はないんですね。

 

今日もここまで読んでくださりありがとうございました!
少しでも皆さんの参考になれば嬉しいです。

 

(更新:2016.11.17)

 

 

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2 Responses

  • はじめまして。
    いつも楽しく拝読しております。
    表現者としての考え方、上出さんの仰る通りだと思います。
    何度か同じ記事を読み返していて、上出さんもやはり同じような悩みにぶち当たっていたんだなと、失礼ながらホッとしています(笑)
    自分も全く同じように、ある表現に偏った写真を量産していた時期がありました。
    トレンドに合わせた撮り方だったのですが、2年ほどでそれは消えていきました。

    今はわりと直感で撮ってます(笑)たまに他人の真似もします。
    いろいろやって、まだ見えぬ自分の表現が見つかるのを待っている、そんな感じです。
    見てくれる人に感動してもらえる写真を作っていければ、どこかで立ち止まって振り返ったとき、自分らしさに気付く日がくるんだろうなと思っています。

    長文駄文失礼いたしました。

    • はじめまして。
      コメントありがとうございます。

      実は、
      divedogさんのHPは以前にも拝見したことがあり、
      素敵なお写真を撮る方だなと思っていました。

      こんなことを言うのはおこがましいのですが、
      この度ブログをあらためて読ませていただき、

      「あーわかるわかる」

      というところがたくさんありました。笑

      陸上の撮影、難しく感じますよね…
      泳ぎながら脇全開でも、水中ワイドは手ぶれせず撮れますし。

      僕自身も

      「自分の表現はこれだ!」

      という確固たるものはありません。

      その時その時で自分のベストを尽くすことで精一杯です。

      divedogさんがおっしゃる通り、
      後から何か一貫性が見えたらそれが〇〇らしいということになるんでしょうし、
      時代や環境、自分の心境の変化と共に作風が移り変わっていっても良いと思っています。

      トレンドという意味でも、
      ここ数年よく目にするハイキーのふんわりした写真が、
      そのうち廃れる流行りなのか、日本人特有の文化として発展してくのか、正直僕にはわかりません。

      せっかくここまで好きになれた水中写真ですので、
      お互いこれからも楽しく向き合って行けたら良いですね!

      どこかでお会いできる日を楽しみにしています。

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